こんにちは、エンチャイルドの広報担当、地球村山歩です。

 人の死ほど、不思議なものはありません。

 病気による死であれ、事故や事件に巻き込まれて命を失う場合であれです。

 エンチャイルドに関係するかたの中にもこの世を去った人々がいます。
 
 エンチャイルドの女子奨学生が二人、ミンダナオ島ブトゥアン市バランガイ・ロサンゼルスの現地コーディネーターだったルース・コルテスさん、エンチャイルド・フィリピンの役員のネオ教授…、いずれも病死です。奨学生の家族で亡くなったかたも少なくありません。私がよく知っている女子奨学生はここ数年の中で両親を病気で亡くしています。新型コロナウイルス感染症で命を落としたかたがたもいらっしゃいます。

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マニラのアメリカン・セメタリー & メモリアル

 山歩も愛する家族を失った当時者の一人です。
 「なぜ?」という問いに対する答えを得ないまま、23年と6カ月が過ぎました。

 このたびの安倍元首相の死去に対してもまた、「なぜ?」という問いかけは続くことでしょう。

 人の死に対しては、100人いれば100通りの捉え方が存在するのではないかと思います。

 年老いたから死について考えるようになったというかたも多いでしょうし、それが普通なのかもしれません。しかし愛する人を失った者は、若年であったとしても、その死について問い続けるようになるでしょうし、その死と共に生きていくことになるのです。

 「死」という言葉を発することは、縁起でもない、とよく言われますし、「死」という文字は忌み嫌われる言葉の代表のようなものですね。

 しかし一方で「死」は、生きることへの本質的な意味を問いかけるものでもあります。
 時に「死」は、絶大な影響を歴史と社会にもたらすことがあるのです。

 イエス・キリストの言葉です。

 「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」(ヨハネによる福音書より)

 これもまた、一つの「死」に対する捉え方であり、人生の解釈です。
 死んで他を生かすことで、死を超えるということなのでしょう。人は誰でも死にますが、人生に生き方というものが存在するように、人の人生には死に方というものも存在するということです。

 人の死は、私に新しい生き方をもたらします。

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