こんにちは、エンチャイルドの広報担当、地球村山歩です。
今はどんな時代で、現在の社会はどんな状況なのでしょうか。
最近は朝一番、テレビに映し出される都知事選の政見放送を目にすることが多いのですが、いったいここがどこの国なのか、いつの時代なのか、頭の中が混乱してしまいそうになります。未来小説でも読んだことのないような、想像もしなかった2024年という時代に自分は生きているのだと、ちょっとだけめまいを覚えるのです。
さて、フィリピンでの教育支援、共育活動を20年行ってきましたが、最近は20年を意識し過ぎたのか、20年という期間はどれほどの長さなのだろうと考えさせられています。
20年前、わが子らは小学生でした。
私は40代になったばかり。
妻はすでに他界。
ふと思ったのは、山歩は終戦17年後に生まれたという事実です。
20年よりも3年短い17年。
山歩が生まれた時はまだ戦後17年だったということです。
20年前は戦争の真っただ中だったのです。
いつも若いつもりで、俺は時代の最先端を走ってるぜ!などと考えることもありましたが、自分はずっと昔に生まれた人で、結構長く生きてきたんだなあと感じたわけです。
高度成長期に誕生し、戦争を知らない子どもたち…とギターを弾いて歌っていたおにいさんたちの背中を見ながら、育ちました。
「もはや戦後ではない」という言葉は1956年に発せられました。
その意味で山歩は「戦後」生まれではなく、「新人類」と呼ばれる世代(1955年~1965年ごろに生まれた世代)に属します。
新人類とは、それまでとは違う考え方や感じ方をすることから、新しく現れた人類という意味で名付けられネーミングです。バブル期の豊かな時代に青春を謳歌し、消費意欲が高い世代ともいわれています。
昭和、平成、令和と時代は流れてきました。明治、大正、昭和を生きた人のように、山歩も三時代を生きる人になったのだと…。
とはいえ、まあ、明治生まれでご健在のかたもまだいらっしゃるわけですから、新人類はまだまだ若造に過ぎないのかもしれません。
20年という月日が長いのか短いのか。
過ぎた20年は短かったようにも感じますが、これからの20年を考えると、やっぱり長いと感じるなあ…。
閑話休題。
20年というのは一つの結果なのであって、一日一日、一歩一歩の積み重ね。
「登れない山はない」を座右の銘に生きてきましたが、山登りは結構疲れるもの。
楽しい気持ちや喜びを感じられないと、とてもじゃないけど山頂まで持ちません。
山歩は登頂欲だけでは歩けないタイプなのです。
とりあえず、石の上にも三年。
3年ぐらいを見据えて、今日一日を精いっぱい務めさせていただくという感じでしょうか。
3年後、果たして山歩はどんな景色を眺めているのでしょうか…。
コメント
コメント一覧 (2)
高校生でした。運動音痴のクセに剣道部に入って、
足捌き悪く頻繁に怪我して、成績の方は居残り組で、青春は失敗…(見事にフラれましたw)
でも当時から国境や世代、宗教を超えて様々な人との出会い・繋がりで毎日充実していました。
その環境を作ってくれたのは両親や先生、地域の大人たちのおかげなんだと最近になって気がつき…(遅いよー)
そしてわかったんです。次は私の番。与える番なのだと。
あの頃の大人たちのように上手く優しく導いてあげられないかもしれないけれど、与えられたものを次は私が与えていこうと思います。
そして20年後の私自身、同じように充実した日々を大切な仲間と共に支え合いながら過ごせていられたらな、と…
そのためにも今この時、どこまでやれるかわからないけど、希望を持って突っ走ってみます!!
地球村山歩
がしました