こんにちは、エンチャイルドの広報担当、地球村山歩です。

 今回は、エッセー「おじさんのまなざし」第4弾、「献体」をお届けします。

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 1月19日、寒さの続く日曜日。
 昼食の準備をしている時、LINEの音声通話のコールが鳴った。
 父からだ。

 父からのコールは普段ならほとんどが夜の時間帯。

 「何かあったのだろうか?」

 昨年の暮れには、母が首の痛みを訴えて寝込んでしまい、救急車で病院に運ばれるという事態もあった。幸い、入院せずに帰宅したが、高齢の父母の健康状態は息子にとっては一番の心配事である。

 少し緊張しながらスマホの受信ボタンをタップする。

 訃報…。

 父の末の妹、父の兄弟の中では私に一番年齢の近い叔母が亡くなった。
 死因は動脈瘤の破裂によるとのこと。家族が気付いた時にはすでに息を引き取っていたという。

 父の声は落ち着いていた。でもその声はいつもの父とは違う。年の離れた妹の死が無念であることが伝わってくる。

 「葬儀のスケジュールが決まったら教えてほしい」

 私は懐かしい叔母の若い頃の姿を思い浮かべながら、父に聞いた。

 「まだ分からん。妹の遺体は地元の大学(医学部)に献体されるそうだ」

 「ケンタイ?」
 
 献体とは、自分の身体を死後に医学・歯学の大学で行われる解剖学実習に無償で提供しようとする篤志行為だ。

 叔母は生前に献体を希望し、自分の遺体をその大学に提供する手続きをしていたのだ。


 最近は、高齢の両親のもとに帰る機会が増えることで、疎遠になっていた親戚との交流も少しずつだが増え始めている。

 故郷に帰れば、街並みや山河の景色ばかりでなく、かつて共に過ごした近所の人々や親戚、友人たちの顔が思い出されようになった。

 叔母は享年74であった。
 
 交流することのない時間が長く過ぎてしまっていたことを私は悔やんだ。
 そして、「献体」を望んでいた叔母の考えがどのようなものであったのかを想像した。

 叔母の人生がどのようなものであったのかを知りたい、そう強く思った。

 自分がそうであり、家族がそうであるように、親戚たち一人一人にも人生がある。

 人と人との関係は、その人の人生に向き合うことで結ばれるものなのだと、私の内なる声はつぶやいていた。

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