長嶋茂雄さんのご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。

 山歩もかつては野球少年でした。
 「巨人、大鵬、卵焼き」の響きに共感を覚える世代の最後の方の列には入っていると思います。

 読売巨人軍、ジャイアンツがV9を成し遂げたのは1965年から1973年のこと。山歩が幼児期から小学生の頃。長嶋茂雄さんが現役を引退したのが1974年。山歩は12歳、小学校6年生でした。

 カルビーのプロ野球スナック菓子を買いあさり、野球選手のカードを集めていました。もちろん、仮面ライダーも。

 買ってもらった野球のユニフォームも野球帽もジャイアンツっぽかったですね。背番号を選ぶなら「3」か「1」。守備はサードで打順は3番か4番に立ちたい。実力の程は別として、野球少年の「あこがれ」はいつもそんなイメージでした。

 サッカーシューズやスケートシューズも買ってもらいましたが、やはりあこがれのスポーツ選手は野球が一番でした。スポーツ用品店に通っては、野球関連のグッズを手に取るのが楽しみの一つでした。

 小中生の頃は野球漫画に夢中でした。「巨人の星」「男どアホウ甲子園」「あぶさん」「野球狂の歌」「ドカベン」「キャプテン」「プレイボール」「タッチ」などなど。


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 中2の時にバスケットをしていて右膝の靭帯を損傷するけがをしてしまい、1カ月ほど入院。以来、遊び程度にはできても本格的なスポーツは困難な膝となってしまいました。

 膝のけががなければ、高校でも野球をやっていたかもしれません。
 高2の時には母校が夏の甲子園に出場することになるのですが、山歩は応援団の副団長として甲子園のアルプススタンドに立つことになります。野球部の同級生から分けてもらった甲子園の土は、今も故郷の部屋に飾ってあります。

 実は、山歩は右膝の靭帯損傷を3回やっていて、松葉杖の生活を3度経験しています。中2の時に専門的なリハビリをしっかりしておけば、その後の人生変わっていたかもしれません。

 40代になってからではありましたが、一念発起して山歩きを始めたことは大変良かったと、体を動かすことの喜びを感じています(今は、大病をして山が遠のいていますが、秋頃からはまた山を歩きたいと思っています)。

 長嶋さんのことを偲んでいたら、自分の人生も丸ごと振り返ることになってしまいました。
 私の父は長嶋さんの一つ年下です。
 長嶋さんとは親子のような世代だったのだと思いながら、故郷の父に会いたくなりました。


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