こんにちは、エンチャイルドの広報担当、地球村山歩です。
「3・11」を通して見えてきた日本の底力=和の精神。「和」はいったいどこから来たのでしょうか。
今回は和の源流について探っていきたいと思います。
いかがでしょうか。
和の思想の中に「円の発想」や「共生と循環の原理」が見えてこないでしょうか。
「和の源流は縄文時代にある」と私は考えるようになりました。日本の底力は1万年以上続いたといわれる縄文の歴史の中で育まれたものに違いないと考えたのです。
「3・11」を通して見えてきた日本の底力=和の精神。「和」はいったいどこから来たのでしょうか。
今回は和の源流について探っていきたいと思います。
「和の精神」と聞いてまず思い浮かべるのは、聖徳太子(厩戸皇子)が定めたといわれる十七条の憲法の第一条ではないでしょうか。
あの有名な「和を以て貴しと為す」という一節です。
聖徳太子は、仏教や儒教への造詣も深く、中国の文化や思想にも通じていた、当時の日本におけるトップエリートでした。
聖徳太子は中国の文化・制度を学び、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど、大王(天皇)や王族を中心とした中央集権国家体制の確立を図りました。
では、聖徳太子の考え方、中国の思想や儒教、あるいは仏教が和の源流なのでしょうか。
以前なら、ここで儒教や仏教の教えの中に答えを求めていたのかもしれません。でも「3・11」をきっかけに始まった私の「和」への探求心は、半島でも大陸でもなく、日本列島のさらなる昔の歴史に向かいました。
日本の歴史学者で明治学院大学の武光誠教授は、縄文時代の日本列島に住んでいた人々は「『円の発想』と呼ぶべき独特の考えをもって生きていた」と著作で述べています。
また、日本の地理学者、環境考古学者で立命館大学環太平洋文明研究センター長の安田喜憲教授は、『森と文明の物語―環境考古学は語る』(ちくま新書)の中で、「縄文人が平和で安定した社会を一万年以上にわたって維持しえたのは、自然との共生と平等主義に立脚した社会システムを持っていたからにほかならない。共生と循環、そして平等主義こそが森の文化の根本原理なのである」と指摘しています。
安田教授のいう「共生と循環、平等主義の原理」は、武光教授が表現する「円の発想」と通じるものであると思います。
ここで、「和」とは何か、「和する」とはどういうことか、和した関係とはどのようなものかについて考えてみましょう。
聖徳太子は、仏教や儒教への造詣も深く、中国の文化や思想にも通じていた、当時の日本におけるトップエリートでした。
聖徳太子は中国の文化・制度を学び、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど、大王(天皇)や王族を中心とした中央集権国家体制の確立を図りました。
では、聖徳太子の考え方、中国の思想や儒教、あるいは仏教が和の源流なのでしょうか。
以前なら、ここで儒教や仏教の教えの中に答えを求めていたのかもしれません。でも「3・11」をきっかけに始まった私の「和」への探求心は、半島でも大陸でもなく、日本列島のさらなる昔の歴史に向かいました。
日本の歴史学者で明治学院大学の武光誠教授は、縄文時代の日本列島に住んでいた人々は「『円の発想』と呼ぶべき独特の考えをもって生きていた」と著作で述べています。
また、日本の地理学者、環境考古学者で立命館大学環太平洋文明研究センター長の安田喜憲教授は、『森と文明の物語―環境考古学は語る』(ちくま新書)の中で、「縄文人が平和で安定した社会を一万年以上にわたって維持しえたのは、自然との共生と平等主義に立脚した社会システムを持っていたからにほかならない。共生と循環、そして平等主義こそが森の文化の根本原理なのである」と指摘しています。
安田教授のいう「共生と循環、平等主義の原理」は、武光教授が表現する「円の発想」と通じるものであると思います。
ここで、「和」とは何か、「和する」とはどういうことか、和した関係とはどのようなものかについて考えてみましょう。
いかがでしょうか。
和の思想の中に「円の発想」や「共生と循環の原理」が見えてこないでしょうか。
「和の源流は縄文時代にある」と私は考えるようになりました。日本の底力は1万年以上続いたといわれる縄文の歴史の中で育まれたものに違いないと考えたのです。
コメント
コメント一覧 (2)
和する関係とは、単なる依存関係を指しているものではないと思います。
自立を前提とした共立の関係を目指してこそ、「和」の真価は発揮されるのだと考えます。
地球村山歩
がしました
掲載されている和の思想は、これが人間関係で実践されれば、今日本で起きている少子高齢化の課題なども解決の糸口がありそうだと感じました。
和するためには自己が果たすべき責任、役割も大きいなと思いました。
地球村山歩
がしました