こんにちは、エンチャイルドの広報担当、地球村山歩です。

 「和の源流は縄文時代にある」。今回はここから歴史探求の旅を始めてみましょう。

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 まずは日本列島の歴史をざっと概観してみましょう。

 下記の図は、文化の視点から15000年の日本列島の歴史を大きく三つに区分して図に表したものです。

 明治維新から現在までの約150年。この150年の日本は「欧米化された日本」と表現できます。

 次に弥生時代から江戸時代までの2900年を見てみると、中国大陸や朝鮮半島との関わりで形成されてきた「農耕アジア的な日本」の姿が浮き彫りになります。

 そして弥生時代以前、すなわち1万年以上(12000年)続いた縄文時代は「農耕アジア以前の時代に由来する日本」とくくることができるでしょう。
 まさに1万年以上もの年月とともに日本の基層文化形成の苗床となっているのが「縄文日本文化」といえるのです。

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 ところで、昨今「持続可能」という言葉をよく耳にしませんか?
 持続可能な開発目標(SDGs)、持続可能な社会、持続可能な~といった表現です。

 2015年11月8日にNHKで、「NHKスペシャル <アジア巨大遺跡> 第4集 『縄文 奇跡の大集落~1万年 持続の秘密~』」という番組が放送されました。

 タイトルに「持続」という言葉がありますね。
 狩猟・採取の生活を基盤としながら、1万年以上もの長期にわたって持続可能な社会をつくり上げていた、それはなぜか、というのがこの番組のテーマでした。

 番組の主な舞台となっているのは青森県青森市の特別史跡三内丸山遺跡
 2017年8月、実は私も家族と一緒に訪ねたことがあります。

三内丸山遺跡2
▲縄文人とともに

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▲三内丸山遺跡のジオラマ

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▲三内丸山遺跡で発掘された土器の数々

 三内丸山遺跡は縄文前期から中期(約5500年前~4000年前)のもので、1500年にもわたって定住生活が営まれていた大集落の跡です。最盛期には500人を超す人々が生活していたとみられています。
 竪穴住居、大型竪穴住居、大人の墓、子供の墓、大型の堀立柱、建物跡、貯蔵穴、粘土採掘杭、捨て場、道路跡などが発掘されていて、膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具が見つかっています。

 縄文時代に長期にわたってその大集落を維持し、「持続可能な社会」の典型例としてNスぺで紹介された三内丸山遺跡。
 
 では、「持続の秘密」とはいったいどんな秘密なのでしょうか。

 次回は、その辺について考察してみたいと思います。(続く)

三内丸山遺跡

 
 最後に動画を紹介します。
 RMCAチャンネルで縄文についてお話をさせていただいた時のものです。
 あまりうまくしゃべれていませんが、ご容赦ください。
 ご覧いただけたらうれしいです。
 
 【新シリーズ『縄文時代と日本人の危機管理』第1回】

 (1)縄文時代とはどんな時代だったのか?~四つの誤解を解く~(8:40)
 https://www.youtube.com/watch?v=-FXrZgqOzJw

 (2)誤解その1 縄文時代は安定した食料が得られず、食生活は貧しかった?(17:14)
 https://www.youtube.com/watch?v=abDZvHlxv2k&t=15s

 (3)誤解その2 縄文人は未開で原始的で野蛮? 文化など存在しなかった?(12:46)
 https://www.youtube.com/watch?v=_de4CdqzPgo&t=47s

 (4)誤解その3 縄文時代のコミュニティの規模は小さく、行動範囲は狭かった?(14:45)
 https://www.youtube.com/watch?v=WMLZcPd1fuk&t=8s



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