こんにちは、エンチャイルドの広報担当、地球村山歩です。

 氷河期が終り、地球は温暖化します。
 世界史の表現でいえば、旧石器時代から新石器時代と移り変わっていく時期です。
 縄文時代は新石器時代に当たる時代で、この温暖な気候の中で1万年以上の時を重ねていきます。
 
 新石器時代は、人類が農耕による定着を実現し、定住生活を営んだ時代です。
 縄文時代は、農耕による定着ではなく、狩猟・漁労・採集による定着を実現しました。

 日本列島からは世界最古(1万6500年前)の土器が発掘されています。
 1万3000年前の人の形をした土偶が発掘されていますし、1万2500年前にはすでに漆が使われていたことも分かっています。

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土器を作る縄文人の女性(模型)

 世界に目を向けると、紀元前3000年前後(5000年前ごろ)に大河流域に文明が誕生します。
 中国文明(黄河、長江)、インダス文明(インダス川)、メソポタミア文明(ティグリス川、ユーフラテス川)、エジプト文明(ナイル川)などです。

 三内丸山遺跡は縄文前期から中期、5500年~4000年前の遺跡ですから、三内丸山にあった縄文大集落は世界の大河文明が形成された時期と時を同じくしています。

「縄文」から見えてくる持続可能な社会を実現するために不可欠な要素とは

 大河文明は農業(農耕、牧畜)の発展によって集団が巨大化したものです。
 余剰食料の社会化とともに分業が始まります。神官などの非農業従事者やスペシャリストが誕生、階級が出現し、国家が形成されていきます。都市が誕生し、文字が発明されました。

 文明の歴史は過酷な自然との闘い、克服の歴史でもあります。道路を造り、運河を開き、灌漑施設を建設します。
 森の破壊、自然の破壊が進みます。
 戦争が起こり、城壁が造られていきます。

 縄文人はどのような歴史を歩んだのでしょうか。
 自然環境に恵まれた日本列島では、大規模な建造物を人工的に造る必要がなかったのでしょう。
 縄文人たちは自然と共生する文化、壁のない文化、平和(争わない)の文化を形成していきました。

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三内丸山遺跡

 縄文文化の最大の特徴は、受容性と循環性だったのではないでしょうか。
 ここに円の発想、和の精神の原点があると私は考えています。

 縄文時代の日本列島人は、自然との共生、自然現象(四季の変化、自然災害)を受容する道を歩みました。そして弥生時代~江戸時代に生きた人々は、中国文明(文化)を受け入れ、明治以降の日本人はヨーロッパ文明(文化)、アメリカ文明(文化)を受け入れていきます。

 しかしそれは妥協や依存の産物でも同化でもなく、自らの主体性を堅持しながら他と協調することによってなされてきたのです。

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 サミュエル・ハンティントン(『文明の衝突』の著者/1998年出版)をして「日本文明」といわしめた日本のオリジナリティ、独自性の源流は、縄文時代にあるのではないか……。

 持続可能な社会に不可欠な要素とは何でしょうか。
 それはやはり、受容性と循環性、和合(平和)と共生の原理なのではないか。

 エンチャイルドは、より良い社会の実現に寄与したいと考えています。

 「良い社会」をどう定義するのか……。

 これに答えるのは簡単ではありませんが、昨今、強調されている「持続可能な社会」という概念も、“良い社会”の一側面を表現したものだといっていいでしょう。

 縄文時代を源流とする円の発想、和の精神は、果たして持続可能な社会を実現できるのでしょうか。

 この辺については、次回、述べてみたいと思います。

 
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